Schreibpraxis

文章練習

High-context文化の困りごと

Wikipediaによると日本語はHigh-context文化の極端な例で、ドイツ語はLow-contest文化の極端な例らしい。

High-context文化ではコミュニケーションをとる際に文脈を重視し(行間を読むのが当たり前)、Low-context文化では文脈よりも明示されているかどうかを重視する(書かれてない、言われてないことは無いも同じ)。
得手不得手はそれぞれにあるけれど、得てして日本人は「明確にものごとを記述して伝える」ことに慣れておらず、ドイツ人は「単語や状況の組合せから総合的に判断する」ことに慣れていない、と感じることが多い。

明確でない指示を受け取っても類推して仕事を進めてしまう日本人に対し、(日本人に比べると)明確に指示を出したり受けたりすることに慣れているドイツ人との方が仕事をしやすいと感じることは多い。
僕は日本語も日本人も大好きだが、仕事をしていて楽なのはドイツ人である。

 

閑話休題

日本語を学びたいドイツ人と、お互いに日本語とドイツ語を教え合っている。
この間、相手のドイツ人が
「お母さんと久しぶりに電話をしていないので」
という言い方を使った。

彼は「長い間」という意味で「久しぶりに」という副詞を使ったのだけれど、この文脈での「久しぶり」の使い方は正しくない。「ある行動・活動を過去にしていたが長いあいだ停止・休止しており、それを再開するといった状況でしか使わない」と説明したところで気付いたことがある。

日本語は単語レベルで論理的に自動化されすぎている。

上記の「久しぶり」にしても、英語やドイツ語で同じ意味を伝えるのに「久しぶり」に直接対応する形容詞が無い。伝えるには「ある行動・活動を過去にしていたが長いあいだ停止・休止しており、それを再開するといった状況でしか使わない」といった説明をそのまま言葉にしなければならない。
「久しぶり」の一言で、その言葉が使われる状況や条件も伝わってしまう。

他にも「大雑把」「微妙」「嗜好品」といった言葉は、どういった状況でどんな物に対して使われるのかを把握していないと使えない。
数字の出処はよくわからないが、日常会話の90%を理解するのに必要な単語数がドイツ語では5000語程度、日本語では10,000語程度と言われている一端には「文脈を把握していないと使えない言葉」の影響もあるのでは、と思う。

 

日本語でコミュニケーションをとるにあたって、悲しいことも起こる。
事前に必要な状況や条件を踏まえて言葉を選ばないと、文章から一貫性が簡単に失われてしまう。「伝えたはずの内容が伝わらないばかりか信用されない」。

最近はソフトウェア開発に頭が毒されているので、それっぽい言い方がしっくり来るようになってしまった。
言う側・書く側が言葉それぞれの意味するところや使われる状況を把握していないとコミュニケーションのエラーが頻繁に起き、杜撰に使われる日本語はそんなエラーを起こすバグの温床となってしまう。

 

ちょっと辞書で調べたりとか、語彙を増やしたりで改善できるコミュニケーションって実は多いんじゃないだろうか。